おや?

実家に帰ったついでに、川崎市立日本民家園中村正義の美術館篠原一男設計の元住宅兼アトリエ、直方体の森)に行ってきました。
この二つの空間で感じたのが二つの生命感です。
極端に言えば、鬱蒼としたのジャングルに感じるような湿った生命感と、握れば砕ける凍った薔薇に感じるような乾いた生命感というものになるかと思います。
でも、ジャングルに乾いた生命感がないのかというそうでもない。逆もそうだと思います。
湿った生命感の奥底にキーンと乾いた生命感を感じることもあるだろうし、乾いた生命感の淵にどろっと湿った生命感を感じることもあると思うからです。
そのようなことを今回は実感した次第です。
その実感の経緯を少し。
古い民家は暴れた梁や物質感のあるというか物質化した床や壁によって、どろっと湿った生命感を感じました。格闘の血の跡が見えるような気分でした。
一方、直方体の森の方は、その名の通り直方体を多用した空間構成と抽象化された白によって乾いた生命感を感じます。
どちらか一方だけ行っていたら、このような印象しか僕は持たなかったように思います。
しかし今回は、民家の後に直方体の森へ行ったせいか、その乾いた生命感の淵にどろっと湿った生命感を一瞬感じたように思います。
どこでそのように感じたのかはもう少し考察が必要ですが、篠原は民家に意識的だったことにその要因があるかもしれません。林でなく森って名付けたところもすごいと思いました。本人が付けたのか分かりませんが。

物事には、この二つの生命感が必ず潜んでいるような気がします。
今回、民家に行った時は、その湿った生命感に圧倒されて、乾いた生命感を感じることはできませんでしたが、それは僕の目が足りなかったからでしょう。
生命感の二面性、乾いた湿りと湿った乾き。
抽象的なホワイトボックスに、鮮やかな植栽、もしくはアート。
最近の建築雑誌によく見る絵です。
なにかこのような事とも関係がありそうです。

あっそうそう、10+1最終号の中谷さんの小論、かなり面白いですよ。
民家と篠原の接点が垣間みれます。


WataridoriCornelius